好きな子がめがねを忘れた 10巻 (デジタル版ガンガンコミックスJOKER)
お読みになりまして?
お読みになりまして!?
世間では「両片想いじれじれ系」とかが流行ってるのかもしれませんが、この漫画の場合はもう純粋に男の子と女の子がお互いに惹かれあって、迷いや言い訳をしたくなる自分の心に素直になろうとして、飾らないことばで相手に気持ちを伝えようと決心して、それを確かめ合うことができたというストーリーに、おじさん呼吸ができないくらい感動しましたわ。
頑張ったね小村くん。
よかったね三重さん。
「些細なしぐさも感性も その全部が愛しいって思える
好きだよ三重さん 三重さんと会ってから全部が幸せなんだ」
モノローグとはいえ、こんなにストレートに感情を読者へ見せつけられたらもう我々はどうしたらいいかわかりません。汚い大人はこんな飾らない綺麗なものを見ると粉々に破壊されて砂糖製の塵になってしまう。
あと今回の小村くん、よく泣いてるんですよね。そこがまたたまらんというか。
小村くんのお母さんが「でかくなったな〜」って言うシーンが2回あるんですが、それは当然身長が伸びて大きくなったという意味だけじゃなくて、恋愛をしている姿を見て成長したんだな、という感慨もあるのはわかりやすいかと思います。
じゃあなんで、その成長してるはずの小村くんが泣いてるところがいいんだということなんですが、それはやはり子供ではなくなったけどまだ大人でもない中学生という時期に芽生えた恋心が成就するという中で、相手のことを思いやって心が重なり合って相手の感情を自分のもののように受け取れるようになったときに泣いてるんです。
三重さんがめがね忘れなくなって良かった、とか。
自分が先に告白したいと思ってた、とか。
大好きだ、とか。
赤ん坊は泣くことでしか感情を他人に伝える手段が無いので、お腹が空こうがおしめが濡れていようが不機嫌だろうがとにかく泣く。それがいつしか自我が芽生えて一人の人間として成長していくにつれて、簡単に泣かないことこそが大人の男になることだという社会の雰囲気にあわせてなんとなく涙を我慢するようになるのだと思います。
自分は男だから、あるいは大人だから泣いたらダメだ、そんな薄っぺらい鎧を剥ぎ取られるくらいに感情を揺さぶるような何かがあったとき、それが涙という形で外に溢れ出てきたとき、ただ子供が泣くのでは無い別の意味が生まれてくるのではないでしょうか。
他人を思いやれる自分自身の感情をも受け入れて、素直に認められる。
それがこの10巻で小村くんが見せた涙のシーンに表れてるのだと。
そう思います。
さあこの先も存分にイチャイチャしてくれるのが楽しみだ!